命をいただくという意味(執筆者:管理栄養士・体育学修士 河谷彰子氏)

河谷彰子タイトル78

“いただきます。”の意味は知っていても、真の意味を理解し“いただきます。”を1
言っているかなと感じる場面があります。
今回は私自身または私の周りで“命をいただいている。”と体感したケースをご紹介したいと思います。

 

幼稚園児:魚釣りから食卓で子供が感じた事

魚の切り身が海を泳いでいると思っているという子供の話を耳にした事はあります1
か?魚を魚売り場でしか見た事がなければ、そう思ってもしょうがないかもしれません。
魚嫌いの幼稚園児の子供と一緒に魚釣りをしたら、魚嫌いを克服できたと嬉しそうに話してくれたお父様がいらっしゃいました。
さらに、釣った魚をさばいて一緒に食べていた時『命をいただいているんだね~。』と子供の大人びたコメントにビックリしましたと教えてくれました。
さっきまで生きていた魚が目の前でさばかれている事に少し残酷さを感じ、でも美味しく食べている・・・そんな矛盾とも言える状況に子供が思わず漏らしたのでしょう。1

食育の一つの方法に“育てる”があり、苦手な野菜でも自分が育てると美味しく食べるという話はよく耳にします。魚が嫌いな理由はモソモソする・骨を取るのが面倒くさい等、色々ですが、植物を育てた時と同様に、自分で釣った魚は食べてみようという気持ちをくすぐるのでしょうか。もしくは魚だとより命を感じ、食べてあげないといけないと感じるのでしょうか。

高校生:生物の授業で私が感じた事

私の通っていた高校では、生物の授業でニワトリの解剖がありました。1
初の解剖だった私達にとって、教科書で見た事がある様子を実際に観察するというのは、ドキドキする事であり、また怖いような気もしていました。そのため私達はかなり騒いでいました。すると生物の先生が一喝!
『このニワトリは皆さんのために殺されているんです。その命を無駄にしないためにも、隅々まで勉強しましょう。』
“そっかー。その通りだ…”と感じた私達は、その後、騒ぐ事なく授業に集中していました。
大学の授業では、毎週のように生きたカエルの解剖や筋肉を取り出して実験していました。普段は虫でさえ触れない私ですが、実験の度に生物の先生の言葉を思い出し、カエルを鷲掴みし、黙々と実験に打ち込んでいました。
食材は私達の生きる糧となるからこそ無駄にしてはいけない。この気持ちは今でも私の心に沁みついており、我が家の食材の廃棄は、ほぼゼロです。

大学生:生物から食卓へ 映画から学生が感じた事

非常勤講師をしている大学で“食育”という授業があります。私にとって、この授業1
は大きな意味で “大学生への食育”だと感じて、色々な問いかけをしています。
“食事は生きるための行為である。”“健康な身体があって、なりたい自分を実現する事が出来るのではないか?”“料理は生きる術の1つではないか?”…色々と伝えたい事はあるのですが、その伝え方は常に試行錯誤です。
ある日の授業で“いのちの食べかた(2005年 ドイツ)”という映画を見せました。
これは食べ物の大規模・大量生産の現場を描いたドキュメンタリー映画で、ナレーションやインタビューは全くなく、生産現場やそこで働く人々を淡々と映し出しています。あるシーンでは、豚が屠殺され、食肉になるまでの様子が流れています。

手軽に手に入りすぎて、食べ物を軽視していないだろうか?それはつまり、命を軽視していないだろうか?食材の廃棄を少なくする事は個人レベルでも出来ないだろうか?安い食材を購入したいという消費者が増えれば増えるほど、何かのしわ寄せがあるのではないか?私自身、色々と問いかけたい気持ちはありますが、あえて私の意見は伝えませんでした。コンビニ世代の学生は何を感じるのだろう?と少々不安に感じながら意見を伺ってみると“食事は命をいただいていると分かっていたけれど、映像で見ると、よりそれが身に染みる。”“買い物をする時に、色々と考えながら購入したい。”等、色々な意見がありました。

年代によって、食育の伝え方は異なりますが、色々な経験が“いただきます”の意味を理解するのかなと感じます。
皆さんは、どのように感じますか?

 


◆執筆者:河谷彰子氏

管理栄養士
(公財)日本ラグビーフットボール協会 セブンズ  アカデミー栄養アドバイザー
慶応義塾大学非常勤講師

日本女子大学家政学部食物学科管理栄養士専攻、筑波大学大学院で体育研究科コーチ学を専攻後、運動指導及び栄養カウンセリング、食サービスの提案を行う、ジュニアユースからトップチームまでのJリーグ選手やラグビー選手への栄養アドバイスを行う。

URL:http://www.kouenirai.com/profile/2448.htm